今日は「天橋立」について書きます。前回書いたセオリツヒメ・ホノコの苦難はここから始まりました。
「マナヰ」。現在は久治岳または久治山といい、京都の北西部と隣県の兵庫県の県境近くにマナヰという場所がありました。実は、ここはトヨケ(大豊受神)とアマテルカミ(天照大神)がお隠れになられた所です。
トヨケさんは、5代目タカミムスビでイサナミ(伊邪那美)の父、アマテルカミの母方の祖父にあたります。
トヨケさんの臨終が近いことの知らせがハラミ(富士山南麗)に届いたとき、アマテルのもとには13人の后が選定されていました。トヨケさんはアマテルカミの母方の祖父であり教えを授かった方であり、とにかくアマテルカミはトヨケさんを尊敬していました。
ですから当然、トヨケさんの臨終には駆け付けたい。そう思ったアマテルカミはすぐにハラミを出発しました。
トヨケさんは、駆け付けたアマテルカミにアメノミチの奥義をお授けになります。
また、集まった人々に対してトヨケさんからお言葉がありました。
「アマテルは幾代にわたっても不世出の名君である。初代アマカミ、クニトコタチにも匹敵するほどのお方である」
その後、トヨケさんは生きながらにして洞に入りお亡くなりになられました。
生きながらにして洞に入るのは、死んでもなお世の中を守ろうとする強い意志の現れです。最近はやりませんし言いませんが、天皇が「お隠れになった」という表現、この逝去方法は「トヨケノリ」と呼ばれました。
そしてハラミに残された13人の后達は、アマテルカミの帰りを首を長くして待つことになります。
ところが、です。トヨケさんご逝去のあともアマテルカミはしばらくマナヰにお暮しになると言う知らせが届きました。后たちの心の動揺はさぞ大きかったものと思います。
アマテルカミはミヤツノミヤで当面の政り事を執ることになります。このミヤツノミヤというのが、天橋立南端の智恩布付近です。
さて、后達はマナヰに引っ越すわけにもいきません。そこで正后ホノコがある裁定を下します。
「后みんなでマナヰに行くことはできません。いつアマテルさんがお戻りになるかわかりませんから。そこでマナヰの近くの地元の人に代表して当地でアマテルさんのお世話を頼むことにいたしましょう。ネノクニ(北陸道)出身のモチコさんとハヤコさん、そしてナカクニ(近畿地方)出身のアチコさんの三人がよいでしょう」・・・后全員納得。。。
モチコ・ハヤコ・アチコの三后は(恐らく大喜びで)アマテルの元に急ぎます。他の后の束縛を受けずに、アマテルカミを独占できまるわけです。おまけに実家も近いし・・・。
滞在されたのは、マナヰにもミヤツノミヤにも行き来が可能な、大宮売神社(おおみやめじんじゃ/おおみやのめじんじゃ、大宮賣神社)であったのではないかと言われています。
つまり、「天橋立」というのはモチコ・ハヤコ・アチコの三后が、マナヰでのトヨケさんのお祭りとアマテルカミのお世話にために、大宮売神社から行ったり来たりしていた道なんです。
実はこの后達、馬を移動手段として使っていたようです。カッコいいですね。
アマテルカミが実際にどれくらいマナヰに滞在していたかと言いますと、なんと10年なんです(「ミカサフミ」では5年と書いてあります)。いづれにしましても、短期間ではなかったようで、この間に、モチコとの間に「タナヒト」が生まれ、ハヤコとの間に宗像三女神と呼ばれている、タケコ、タキコ、タナコの三つ子の皇女(ヒメミコ)が生まれました。
そして「タナヒト」(アマテルカミの長男、「ヒト」=皇位継承者につける名前)誕生の知らせがハラミのミヤのホノコに伝えられます。このときホノコの悔しさの念がこみあがってきたことと思います。そしてこのことが、13人の后の間で大きな溝を作ることになります。
さて、5年か10年かわかりませんが時が経ち、アマテルカミがハラミのミヤにお戻りになられました。その時ホノコは意外な言葉をアマテルカミから聞かされます。
アマテル:今度、都を移そうと考えている。
ホノコ:($・・)/~~~???
それまでアマテルカミの戻りをまって、ひたすらハラミのミヤを整えてきたホノコは頭の中が「ボー」としたに違いありません。しかしホノコは気丈で聡明な方でしたので、すぐにアマテルカミの真意を理解しました。
アマテルカミの狙いは、万人の更なる豊かさの追求にありました。
しかし、ミヤを移すというのは、いわゆる遷都(せんと)で、今で言えば東京の首都の機能を他の地方に移すことを意味します。費用だけでも莫大なものになります。それゆえに、それなりの理由や目的がなければ人々は納得しません。この遷都計画は、アマテルカミがミヤツノミヤに居た頃に進んでいて、ヒワヒコ(ヒノハヤヒコータケミカヅチの神ートヨケの曾孫)をミヤツノミヤに呼んでにヤマトの絵をかかせて(いくつか候補地があったのでしょう)、イサワに決定されました。
⇧ 伊雑宮。 三重県志摩市磯部町上之郷 天照大神の本拠地はここでした。アマテルカミの治世は、この地が国家機能の中心でした。
そしてイサワに移ってから、ホノコに男の子が生まれます。皇嗣オシヒト・オシホミミの誕生です。
モチコが生んだタナヒトは、オシヒトが生まれるまでの斎名で、オシヒト・オシホミミが生まれてからはタナキネと呼ばれるようになりました。そうです、皇位継承者から降ろされたわけです。
そして、皇位継承を降ろされたタナキネの母モチコの心に芽生えたのは。。。
では今日の最後に、アマテルカミの子供をご紹介しましょう。
ムカツヒメ フチオカアナノ ムカツ姫 フチオカ端の (藤岡 (縁丘)イサワの端にある丘)
オシホヰニ ウフヤノミミニ オシホヰに 産野の耳に
アレマセル オシホミノミコ 生れませる オシホミの御子
オシヒトト イミナオフレテ オシヒトと 斎名を告れて
カミアリノ モチヰタマエハ 神生りの 餅飯 賜えば
タミウタフ 民 歌ふ
サキニモチコカ 先にモチコが
ウムミコハ ホヒノミコトノ 生む御子は ホヒの尊の
タナヒトソ ハヤコカミツコ タナヒトぞ ハヤコが三つ子
ヒハタケコ オキツシマヒメ 一はタケコ オキツシマ姫
フハタキコ ヱツノシマヒメ 二はタキコ ヱツノシマ姫
ミハタナコ イチキシマヒメ 三はタナコ イチキシマ姫
シカルノチ アキコカウメル 然る後 アキコが生める
タタキネハ アマツヒコネソ タタキネは アマツヒコネぞ
シカルノチ ミチコカウメル 然る後 ミチコが生める
ハラキネハ イキツヒコネソ ハラキネは イキツヒコネぞ
トヨヒメハ ネノウチメニテ トヨ姫は 北の内侍にて
ヌカタタノ クマノクスヒソ ヌカタダの クマノクスヒぞ
ミコスヘテ ヰヲトミメナリ 御子すべて 五男三女なり』
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
最後までお読みいただきありがとうございます。今日も少し長くまりました。
次回からの「ホツマ昔ばなし」は、スサノヲ(須佐之男命)やヤマタノオロチ(八岐大蛇)が登場します。そしてセオリツヒメ・ホノコの苦難が。。。
💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛💛
わおんグループホーム四日市では入居者さまを
大募集しております。
お問合せ、見学、体験などなど
お気軽にお問合せください!
待ってま~す(^^)/