「伊勢に七度、熊野に三度」。「熊野詣」では全国津々浦々から、伊勢神宮に迫る勢いで行われていました。例えば、後白河上皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十八回も行っています。また花山法皇に至っては陰陽道の達人の安倍晴明を伴い、熊野那智の大滝で千日の「お滝籠り」をしたといいます。
何故、熊野がここまで強い信仰の対象になったのでしょうか。熊野は、仏教の最も古い時期にお寺ができましたが、しかしこれだけが理由とは思えません。人々にここまで強い信仰心を持たせたのはいったい何なのか。
古事記・日本書記には熊野のことはほとんど出てこないですね。実は「出雲」に話をすり替えているのです。例えばイサナミの神が黄泉(よもつ)国に引き返された場所を、出雲の伊賦夜坂(いふやさか)としているところなどがそうです。本当は熊野の有馬村です。ただ、古事記では僅かにイサナミ大神崩御の地として「紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる」と申しわけなさそうに書いてます。
古事記がこのように熊野をいわば無視して出雲を重視した書き方をしているために、一般に熊野より出雲のほうが古いという印象を持たせ、さらに「大和民族」に対抗する「出雲民族」なるものまで出てきて、紀伊に渡ってきたなどという話まで出てくる有様です。ほんとかな・・・?
しかし、実はホツマツタエによりますと、逆なんですね。熊野の方が古いんです。熊野は、古事記に申し訳なさそうに書いてあるイサナミの神が崩御されたところであり、またソサノヲの命がお生まれになった場所でもあります。もしそうなら、昔から伊勢に次いで、詣客が多いのもうなづけます。
ソサ国というのは紀伊の古名で、そこで生まれたのでソサノヲなんですね。スサノヲの性質が粗暴だったからスサブという言葉をもってスサノヲと命名したということではないようです。
熊野本宮大社の主神の家都美御子大神(家津御子大神ーケツミコヲヲカミ)というのはソサノヲ命のことです。ケはオケ(汚穢)で、ツは上下を結ぶ助詞で、「汚気から生れた子」という意味のようです。熊野のクマも、動物の熊ではなく、陰りとか欠点と言う意味です。
上の歌は、ソサノヲが常に怒鳴ったり、泣き騒いだりして国民を困らせていたわけですね。イサナミの神は世の禍となるソサノヲ命の振る舞いは自分の責任だと心を痛めました。そこで国民が受けているこの世の禍を全て一身に受けて、国民を守るためにクマノ宮をおつくりになられたということです。
次にイサナミの黄泉国のお話しですが、イサナミの神がお亡くなりになる時に起こった出来事ですが、ホツマツタエにはこういう箇所があります。
ヨノクマナセハ
ハハノミニ ステトコロナキ
ヨノクマオ ワカミニウケテ
モロタミノ カケオツクナフ
ミクマノノ ミヤマキヤクオ
ノソカント ウムホノカミノ
カクツチニ ヤカレテマサニ
オワルマニ ウムツチノカミ
ハニヤスト ミツミツハメソ
ソサノヲがミクマノの木に火を放った際に、カグヅチの力を借りて向い火を放って消火しようとしたところ、その火によってイサナミ自身が焼かれてしまい、お亡くなりになったということです。今で言えば火災による事故死ということでしょうか。
そしてイサナミの神はアリマに手厚く葬られました。これが先ほどリンクしました熊野氏有馬町の花乃窟(はなのくつ)神社です。
イサナギの神の妹のココリ姫(白山姫ー天照大神の産湯をとった女神。日本書記では菊理媛神(ククリヒメ)、古事記は記載なし)は、春の花の季節と秋の穂の出る時の年二回、お祭りをするように他の神々に告げました。その時です。悲しみに打ちひしがれたイサナギの神はココリ姫にこう言いました。
「私は追って行って、その姿を一目見たい」と。
ココリ姫はイサナギの神の心情を十分察しましたが、「いや、決して行ってはなりません」と強く止められました。
しかし、イサナギの神はココリ姫の忠告を聞かず、黄泉の国に行ってしまいます。
イサナキハ オヒユクミマク
ココリヒメ キミコレナミソ
ナホキカズ
イサナギの神の行こうとするところは生の世界とは全く違う蛆のたかる汚いところでした。当然イサナミの神も夫が来たことを「我に恥をみせた」として恨みます。イサナミの神はイサナギの神を拒絶し、八人の鬼霊 (黄泉醜女) を放って、イサナギをヨモツヒラサカ(黄泉平坂・黄泉辺境。ヨミの辺境。現世と黄泉との境界)の向こう側 (現世側) まで押し戻します。
『アマテル神をアマカミとするまでは、あなた一人になっても世を治めていかなければ、他に代りはいません。ここであなたまで世を去れば、再びオモタル政権断絶後の秩序のない国に戻ってしまいます。』
これがイサナミの神の思いでした。
鬼霊から逃げている中、いつのまにかヨモツヒラサカに立っていたイサナギの神も、イサナミの神の真意を悟ります。
もちろんそれはイサナギの神ご自身も、百も承知していることでした。
また余談ですが、「ヨモツヒラサカ」は一般的には「黄泉平坂」という漢字が当てられているので、「平らな」「坂」という何なのか訳のわからない「坂」になっていますが、「ひら」は「へり (縁)」で、「さか」は「境・界」と考えるのが妥当でしょう。ですから「黄泉と現世の縁にある境い目」ということで、「黄泉辺境」と言うべきだと思います。まぁ仏教でいうところの「三途の川」ですね。
ここで二人は「言立ち (宣言)」します。
イサナミト ヨモツヒラサカ イサナミと 黄泉辺境
コトタチス イサナミイワク 言立す イサナミ曰く
ウルワシヤ カクナササラハ 「麗しや かく為さざらば
チカフヘオ ヒヒニクヒラン 千頭を 日々にくびらん」
『よかった。こうしてくれなかったら、秩序なき世に戻ってしまい、日々千人の堕落した臣を殺さねばならないところでした。』
イサナキモ ウルワシヤワレ イサナギも 「麗しや 我
ソノチヰモ ウミテアヤマチ その千五百 生みて誤ち
ナキコトオ マモル 無き事を 守る」
『うんよかった。例え毎日千人の臣を失うような事態になっても困らぬよう、我は日々千五百人の臣を育てていこう。』
「頭 (こうべ)」は「民の上に立つ司」の意で、臣を指します。
イサナミの神は、調の道(トノチ、トノミチー調和による秩序の道。和の道。相反するものを和し調えて直す道)に逆らう者を排除する「逆矛」(法に逆らうものをほころばすもの)を象徴し、これが「隈の神 (熊野神)」の意味。
イサナギの神は、民を導き治める臣を育てる「調の教え」(トノヲシヱー調和と秩序の教育。調和と秩序への導き。調和への誘導)を象徴し、これが「治汚の神 (多賀の神)」(現在の滋賀県多賀町多賀。フタカミはアマテルに皇位を譲った後、ここに宮を造って住まわれます。オシホミミも、この地で養育されます 。タガは「曲・病 を治す」の意)の意味。
死別れてもなお民の幸せを願うフタカミの心の絆。こうして現世に戻ったイサナギの心には、もはや迷いはありませんでした。
つづく。
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