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ホツマ昔ばなし (その2)【コノハナサクヤヒメ】!ワン🐶

今年ももう桜の季節。皆さんは白子にある「不断桜」(国指定天然記念物)をご存じですか。

今日はこの「不断桜」にまつわるお話を「ホツマツタエ」から書いてみたいと思います。

鈴鹿市白子にある不断桜は10代目アマカミ、ニニキネ(アマテラスの孫、古事記では瓊瓊杵尊)の内宮(妃)のコノハナサクヤヒメ所縁の桜です。

ニニキネはあるときサカオリの宮(今の富士本宮浅間大社あたり)に来られました。この時、オオヤマスミと娘のアシツ姫(後のコノハナサクヤヒメ)がニニキネをもてなしました。お会いになったその晩にニニキネとアシツ姫は結ばれました。しばらくしてアシツ姫はニニキネに会うと恥ずかしそうに御子が授かった事を報告しました。ニニキネは大喜びです。早速伊勢にいらっしゃるアマテルカミ(天照大御神)にお知らせに行くことにしました。

アシツ姫の母親のタキコは、ニニキネのご寵愛を姉のイワナガ姫にも授かりたいと申し出ました。ところがニニキネはイワナガ姫を一目見るなり「アシツ姫の方が良い」と断ってしまいます。それを知ったオオヤマスミは「一体なぜそのようなことをしたのか」とタキコを詰問してしまいます。このことがあってから、タキコとイワナガ姫はアシツ姫に恨みを抱くようになりました。

ある日のこと、タキコは側女の口からニニキネに「アシツ姫の子はニニキネ様の御子ではなく、他の男と結ばれた子です」と偽りの話を伝えさせます。そしてニニキネはうかつにもこのことを信じてしまいました。この話を聞いたのが鈴鹿市の白子あたりです。ニニキネは白子にアシツ姫を残したまま伊勢の地に帰ってしまいます。

一人残されたアシツ姫は驚いてニニキネの後を追いました。身重の身体でようやく松阪まで来ましたが、ニニキネのお供の者が立ちふさがりアシツ姫を制しました。アシツ姫は仕方なく身重の身体をひきずりながら白子の地に戻ります。

ここで一本の桜の木を植え語りかけました。

「私がこのような目に遭うのはきっと誰かに恨まれたに違いない。桜よ桜、どうかその恥をそそいでおくれ」

「桜よ私の意話を聞いておくれ。もし私のお腹の子が仇種ならばしぼんでしまいなさい。お腹の子が正種ならば私が子を産む時に咲いておくれ」と言い残し、父の住む三島の館(今の三嶋大社)に帰ります。

日が巡り、6月の初日に無事三つ子を生みました。このことをニニキネに伝えるも何の返事もありません。

アシツ姫は悲しみに明け暮れ、ある時ある決意をします。アシツ姫は富士の裾野に出口のいない室屋を造り、その中にお入りになり、その周囲に柴の垣根を貼りまぐらせ火をつけたのです。燃え盛る日の中でアシツ姫は言いました。

「もしこの三人の子が本当に仇種ならば、きっと私と共に焼け死んでしまうでしょう」

アシツ姫の悲愴に満ちた決意でした。

この様子を竜が天からじっと見ていました。そして突然舞い降りて来て水を吐きかけ三人の御子が助かりました。村人もこれに気づきあわてて火消しにやってきました。そうしてアシツ姫と三人の御子を助け出したのです。

ニニキネの元にすぐに知らせの使者がたてられました。

不思議なことに、使者が白子に通りかかるとアシツ姫が植えた桜が咲いているではありませんか。聞くところによると、アシツ姫が御子を生んだ六月一日から咲いているとのこと。驚いた使者はニニキネにこれまでの経過と桜のことを話しました。

これを聞いたニニキネは、今までの疑いがたちどころに消え、大急ぎで船を出しアシツ姫の元に向かい興津の浜に着きました。

しかしアシツ姫はニニキネに会おうとしません。そこでニニキネはアシツ姫にある歌を送ります。それを読んだアシツ姫は我を忘れて裸足のまま富士の裾野を走りニニキネの待つ興津の浜に向かいます。

コノウタニ(この歌に) ウラミノナミダ(恨みの涙)                                        トケオチテ(溶け落ちて) キモニコタエノ(肝に応えの)                                       カチハダシ(徒歩裸足) スソノハシリテ(裾野走りて)                                        オキツハマ(興津浜)

こうして、二人の長かった誤解は全て解け、二人はサカオリの宮に戻りました。

ある日ニニキネは優しく姫の方を見てこう言いました。

「姫が子を産んでからというもの、白子の桜の花が絶えないと聞く。ですから姫をこれからコノハナサクヤヒメと呼ぶとこにしよう」(サクヤはサカエ「栄」の意)

時が流れ、ニニキネがお亡くなりになるときに、南九州のタカチホヤマ(霧島山)にホコラをお堀になられました。

コノハナサクヤヒメはニニキネがホコラにお入りになる事を知り、ご自身も富士の山頂近くにホコラをお造りになり、お入りになられました。(富士山山頂近くの富士本宮浅間大社 奥宮)

ニニキネとコノハナサクヤヒメは、亡くなった後も霧島山と富士山で向かい合ってお会いになられています。そして霧島山と富士山を一直線に結ぶ線上にはアマテルカミが祭られている伊勢神宮があります。

 

いかがでしたか。美しくも悲しい、そしてとても壮大なお話でしたね。

富士山は古代において、アサマの山ともいわれ、コノハナサクヤヒメは亡くなった後「アサマカミ」の名を賜りました。これが今の「浅間」となったのでしょう。

またコノハナサクヤヒメは富士の方では火の神、鈴鹿では三人の御子を母乳で育てたことから子安の神として崇められています(子安観音、不断桜はここの敷地内にあります)。

満開の不断桜を、一度見てみたいものですね。

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