この「ホツマ昔ばなし」は皆さんんが興味がありそうなことを色々書いてきましたが、ここからは初代に遡って書いていきたいと思います。
今から約6000年前、BC4000年頃、それまで穴居(けっきょ)に暮らし、自然から採取したものを食べて暮らしていたミナカヌシ(人類の祖先)の時代に、竪穴式住居を建て、クリ栽培を指導するリーダーが現れました。
彼の名は、「クニトコタチ」。
彼は住居と植物栽培の技術を人々に教え広めました。そして、やがて彼は人々の尊敬を集め、信頼され、結果として「トコヨクニ」という国家を作り上げました。「トコヨクニ」とは、我が国最初の国号です。また「クニトコタチ」は「トコヨカミ」とも尊称されます。
カミソノナカニ
アレマシテ クニトコタチノ
トコヨクニ
現代の考古学の発展により、青森県の三内丸山遺跡から出土した栗の実のDNA解析によって栽培種のクリが植えられていたことが明らかになりました(佐藤洋一・静岡大学)。この他の遺跡からもクリの実やクリ花粉、クリの遺物が日本全国で発見され始めています。栽培された植物に中でもクリは主要食物で、その他木や草の実、海藻類や魚介類、野菜や獣も食料としていました。 竪穴式建築につきましては、「ムロヤ」と呼ばれていました。建築方法は、初めに地面を均してスギの柱を寄せて建てます。そして交差部をカツラ(蔓状植物)で結合させます。そこにカヤ(ちがや・すすきな等)を屋根材として葺いて完成させます。
専門家によると、三内丸山遺跡の時代とクニトコタチの時代はほぼ一致するということです。
これが初代アマカミ・クニトコタチの時代だったのです。
植物を栽培していましたので、当然暦もありました。考古学では、縄文時代前期に現れる環状列石(ストーンサークル)を用いて年間の暦計測が行われていたといいます。ヲシテ文献ではこの他に、「マサカキコヨミ」というのもが用いられていたとしてます。これは樹木のサマサキの枝の伸び方を計って長い年数を換算する方法で、非常に大らかな年数の把握をしていたようです。
つづく。
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