今日は四代目アマカミ、ウビチニ・スビチニについてです。これにつきましては「ホツマ昔ばなし【雛祭り】」で少し触れていますが、筆者はこの話が大好きですので、一部重複しますが少し詳しくまとめてみたいと思います。
初代クニトコタチから3代トヨクンヌまでの時代は、多世代一時代であることに加え、妃の名前が私の知る限り出てきませんので、モヤっとした印象をぬぐえません。考古学の発見がなかったら、正に神話的な性質が濃くなるようなお話しでしたね。
で、これから書きます四代目アマカミ ウビチニ・スビチニ(宇比地邇神・須比智邇神)の代からは、妃の名前もでてきますし、非常に人間臭いといいますか、素朴な印象のあるお話になります。
さて、ウビチニ・スビチニの時代は稲作の普及によって人々の暮らしは豊かになりました。稲作を生業の主体としてゆく改革は、当時の日本にとってはものすごい変化であったことは容易に想像できます。人々は努力をして、その成果として豊かさを享受できるわけですから、それまでの比較的大らかな生活とは全く違って、勤勉で、よく働いてこそ高収益が得られるわけです。ということは、その時代に変化についていけない人も当然出てくるわけですよね。何も学ぼうとせず、怠惰な人です。そうなってくると、社会的な構造も大きく変わっていかざる得ません。
その構造の変化が婚姻制度に及んだわけです。当時の婚姻は群婚といいまして、カップルを決めてなかったわけです。飢えが人々の生活を脅かしている時代は、多少の好き嫌いは気にも留めなかったでしょう。しかし、生活が豊かになるにつけ、働き者とそうでない者が入り混じる中で、その群婚というシステムに不信を生じさせました。飢えから決別した時、人は自立を求められます。そういう人たちにウビチニ・スビチニは群婚に代わって固定カップル制の導入を提案し、やがてそれが全国に普及していきます。
ウビチニとスビチニは自ら「トツギ」(結婚)の儀を執り行い、新たな家族制度を全国に宣言しました。この結婚の制度は「トツギノミチ」と言い「アメノミチ」(後述)をさらに強調するものとして位置づけされました。臣たちも妻を定め式を挙げ、国民にも広がっていきました。
ウビチニとスビチニはヒナガタケのミヤにて三月三日(旧暦)にトツギの儀を挙行して(場所は福井県越前市中平吹町の日野山、日野神社のあたりと考えられています)、翌年の一月三日に川で体の日照りを冷ましたとあります。
「ヒナ」といいますのは、人になる前のことで男女ペアになって一人前という意味です。ヒトの「ヒ」と、成る前の「ナ」でヒナです。
桃(百)についてですが、これのいわれは、呼び名は変わりますが先ほどのヒナルノタケ(福井県越前市中平吹町の日野山、日野神社)のカンミヤにウビチニがでモモ(日本の固有種)の実をお持ちになって皇位に就かれます。その実をカンミヤに植えたところ三年の後にハナ(花)もミ(実)もモモ(百ほどに多く)に咲いたそうです。そしてウビチニ・スビチニのフタカミの事をモモヒナギ・モモヒナミともお呼びすることになったといいます。
ちなみに、モモは古墳時代から、さらには縄文時代の遺跡からも実の出土があります。今でもモモは渡来種であると考えている学者がいますが、ちゃんと日本の固有種がありました。鞍居桃といって今も自生しています。この日本の固有種が中国に伝わって「神仙思想」の長寿の妙薬として伝承されたのだと思います。この「神仙思想」のルーツが鞍居桃だと考えています。
さて、雛祭りには甘酒が付き物です。結婚式にもお酒がつきものですね。じつはお酒ができたのもこの頃なんです。
そのいきさつはと言いますと、スクナミ(周玖那彌。少名御神。イノクチの山陰を治める守。モモヒナキ・モモヒナミに初めて酒を献上し、これによりササナミの尊名を賜る)という国守が、琵琶湖南岸の「ヰノクチ (井口・水口)」という地域を治めていました。スクナミは竹の切株に雀が籾を運んでいるのを見ました。それが数日経つとなんだかいい匂いがしてきます。舐めてみるとこれが美味しい。そしてウビチニ・スビチニさんに勧めました。
三月三日、二人は、宮の庭に植えた桃の花の下で、その酒を酌み交します。器に注いだ酒に逆さの月が映り (さかづき) 、優雅な雰囲気を醸し出します。まずモモヒナミ(スビチニ)が飲み、気分が高揚し、次にモモヒナキ(ウビチニ)が飲みます。(三三九度)。
こうして二人は結ばれ、君となりました。
「ササケ」(竹)から醸した「ケ」(食べ物)でササケ(酒)と呼ばれるようになり、これは結婚の儀の「ミキ」(お神酒)にあたります。今は新郎から新婦に渡りますが、スビチニが先に飲んで、ウビチニに手渡しました。またミキと名の通り、新婦から新郎に渡されるのが本来の作法です。「ミ」は実る・秋・女性をあわらします。「キ」は男性をあわらしますので女性が先なんですね。
今では地域によっていろんな作法が伝承されていて、それはそれでその地域の人たちの思いが形になっているのですから結構なことだと思いますが、皆さんの中で、三三九度を新婦から先に飲む風習があることろをご存じの方は、是非教えてください。何処かに残っていれば嬉しいのですが。。。
そしてサムカワで水に入られた時に、フタカミの袖の濡れ具合に違いがありました。ウビチニの袖は大きく濡れ、スビチニの袖は小さく濡れていただけでした。これは濡れないようにウビチニがスビチニをかばったからです。濡れることを「ヒチ」といいます。「二」はにこやか、優しいという意味です。皆さん「二~」と言いながら鏡を見て下さい。笑顔になっていますよね。「ねぇねぇおかあさん」と子供に呼ばれるとお母さんは「なぁに」と答えます。最後は「二」で笑顔になります。「ウ」は多い、「ス」は少ないという意味です。ウビチニ・スビチニという御名は、笑顔でかばいあう夫婦という意味あいだったのでしょう。その仕草の現れが尊いこととして「ウヒチニさん、スヒチニさん」と呼ばれるようになります。
夫婦のかばいあう姿、その笑顔の優しさがアマカミの呼び名にもなるほど尊いと思える心。これが私たちのご先祖の姿だったんですね。
そして、このかばい会う精神を当時の子供たちは遊びを通して学んでいました。それが「羽子板」です。羽子板は打ち返せなかった方の顔に墨を塗りますが、あれは打ち返せなかったからではありません。真逆で、打ち返せないところに打った方に、「今度はここを狙ってくださいね」という意味で墨を塗る訳です。つまり相手を思う心をこうやって育んでいったわけですね。これが日本と西欧の文化の違いなんですね。今は全て欧米かぶれで、何かにつけて競争に勝つことを良しとする世の中ですが、もしそういうことに違和感を感じられる方がいらっしゃいましたら、まぎれもなくご先祖のDNA(記憶)でしょうね。
残念ながら、「羽子板」は縄文遺跡からは出土されていませんが、考古学の研究の成果を待ちたいと思います。
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