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ホツマ昔ばなし(その21)【七代アマカミ イサナギ・イサナミ その③『ヒルコヒメ・ヒヨルコ』】!ワン🐶

七代アマカミに即位されたイサナキ・イサナミのフタカミ。四人の御子を授かりました。
古事記では、①ヒルコ(流産した子で葦の船に乗せて流した)、②天照大神、③ツキヨミの命、④スサノヲの命で一姫三男神なのですが、ヒルコは数えず天照大神を女神とすり替えて一姫二男神(一姫二太郎)として描いています。この天照大神の男神から女神へのすり替えについては以前書きましたのでここでは詳しく降れません。ではホツマツタエではどのようになっているかと言いますと、

①ヒルコヒメ(ワカヒメ)、②ヒヨルコ、③ワカヒト・アマテル、④モチキネ・ツキヨミ、⑤ハナキネ・ソサノヲの順で、②のヒヨルコは流産したため数えずに、一姫三男神です。

ここでは、まず古事記にも書かれているヒヨルコについて、続いて天照大神の姉君のヒルコヒメ(ワカヒメ)について書いていきます。

このブログでは細かところは端追って書いていますので、分かりにくかったらごめんなさい。。。

イサナキ・イサナミのフタカミは世継ぎの御子を産まんとして「コトアケ」(宣言)します。まず「メ」(イサナミ)が先にコトアケします。

メハアナニエヤ ヱヲトコト

続いて「ヲ」が答えてコトアケします。

ヲハワナウレシ ヱヲトメト

詠みあわせて御子を孕みます。ところがこのその御子はヱナ(胎児の養育膜)がヤフレ(破れ)て流産したのです。そして「ヒヨルコ」(流産の子)はアワと流れてしまいました。アシフネ(芦草で作った船)に乗せて流しました。アハチ(淡路島)でのことでした。

ウタヒハラメト
ツキミテス ヱナヤフレウム
ヒヨルコノ アワトナガルル
コレモマタ コノカスナラス
アシフネニ ナガスアハチヤ

次にヒルコヒメについてですが、この子は真昼の太陽が一番高いときにお生まれになったのでヒルコヒメと名づけられました。

余談ですが「メ」、「ヒメ」(姫)は女性のことで、男性のことは「ヲ」、「ヒコ」(彦)と表現します。

それでなんですが、ヒルコヒメには何も問題はないのですが両親(イサナギに神・イサナミの神)方に重大な問題があることが分かりまして、実はこのフタカミはその年夫婦そろって「アメノフシ」(天の節)と言いまして厄年にあたっていたのです(イサナギに神40歳・イサナミの神31歳)。

アメノフシに子供を育てると、両親に病気が起きやすいと言われていまして、女の子ですとチチがヲエ(身体の病)に病気が起きやすく、男の子ですと、ハハがクマ(心の病)になり易いのです。
そこで、三年にならないうちに捨て子にして、他の人に育ててもらった方がいいとされていました。
ヒルコヒメはイワクス・フネ(綺麗に飾った船)に乗せられて捨て子にされました(捨て子といっても儀式的なものです)。すぐにカナサキさんご夫婦が拾い子にして育てます。カナサキさんというのは、今の住吉神社の御祭神のスミヨシノ大神です。養育された場所はヒルコヒメをヒロタとしたニシトノ(広田神社、及び西宮神社)です。西宮神社はえびす神社ってなっていますよね。えびすは蛭子とも書きますから、えびす大神(西宮大神・蛭児命)、この辺にやはり由緒があるのだと思います。

ナシテオコ ハラミテウメル
ナハヒルコ シカレトチチハ
ススヨソホ ハハハミソヒホ
アメノフシ ヤトレハアタル
チチノヲエ ヲノコハハハノ
クマトナル ミトセイツクニ
タラサレト イワクスフネニ
ノセスツル ヲキナヒロタト
ニシトノニ ヒタセハイノチ

一旦捨て子にして、拾ってもらって育てると丈夫な子に育つという民間伝承は今も残っているところはあるでしょうが、こんなに古くからあったわけです。

カナサキさんの奥様のお乳をもらい、アワウワしたり手を打って目をすぼめたり(シホノメ)して、ワカヒメ(ヒルコヒメ)は元気に育っていきます。

ソレワカハ ワカヒメノカミ
ステラレテ ヒロタトソダツ
カナサキノ ツマノチオエテ
アワウワヤ テフチシホノメ

またこれは一般的にも言えたことですが、誕生日には赤飯を炊いてもらって、どれくらい立ったり歩いたりできるようになったかという立ち舞のお祝いをします。三歳の冬には頭に髪を置く儀式をします。一月の元旦にはお餅をついて天地(アワ)を敬い、三月三日には桃のひな祭り、五月五日には菖蒲に粽(あやめにちまき)、七月七日には棚機(たなばた)のお祭り、九月九日には菊と栗のお祝い、そして五歳の冬には男に子は袴をつけ、女の子は被衣(かつき)をかぶります。

ウマレヒハ カシミケソナエ
タチマヒヤ ミフユカミオキ
ハツヒモチ アワノウヤマヒ
モモニヒナ アヤメニチマキ
タナバタヤ キククリイハイ
イトシフユ ヲハハカマキル
メハカツキ

こうやって、ワカヒメは大切に育てられました。

今改めてこういうことを考えていますと、日本は昔から、子供をすごく大切に育てる文化があったことがよく分かりますね。ご先祖はこうやって子供を育て、今の私たちに命をつないでくれたんですね。

一般的には、こういう風習は中国渡来のもので、平安時以降に日本で行われることになったと考えられていますが、私はそれは間違いだと思っています。日本古来のものです。

あともう一つ付け加えて、子供には言葉を大切にすることをこの時代から教えていました。それに使ってきたのが前回書きました「アワ(天地)ウタ」なんですね。

アカハナマ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ

アから始まってワで終わるからアワウタだという人もいます。まぁそれはそれでいいのですが、これは48音(今の50音)の読み順を変えたものなんですね。前半の「アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ」はイサナキの神が、後半の「モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ」はイサナミの神が歌ったものです。

子供が5歳になると、大人たちはこのアワウタを教えます。これをちゃんと言えるようになると身体のめぐりが良くなり、病気をせず長寿に生きられるというわけです。このことに最も通じていたのがカナサキ(スミヨシ)さんだったのです。

そして立派に成長したワカヒメさんはフタカミのもとに戻ってきます。この時にはアマテルがいましたので、アマテルの妹として家族に復帰しました。ですからワカヒメは、ほんとうはアマテルの姉ですが、妹として伝承されています。

では次にワカヒメの恋物語を書いて終わりにします。

時はすこし進みますが、ワカヒメはウタを詠んで、ウタミという短冊のようなものに書いてある男性に渡します。お相手の男性はアチヒコ(斎名)といいます。称え名をオモヒカネと言い、長野県下伊那郡阿智村の阿智神社のご祭神です。彼は非常に優秀な方で、八代アマカミ アマテルの命を受けて、太陰太陽暦という、数年に一度閏年を設けて太陽の回りと月の回りを調整して構成する暦を作った人です。またアチヒコはアマテルの左大臣にもなり、アマテル政権を支えました。

ではその恋文ですが、

キシイコソ 
ツマヲミキワニ
コトノネノ 
トコニワキミヲ
マツソコイシキ

キシイとは紀伊国、和歌山の古名です。ここにワカヒメの伝承が「稚日女尊(ワカヒルメノミコト)」として残っています。ヒルコヒメファンの筆者としましては、ホントにうれしい限りです(まだ行ってませんが・・)。

さてこの和歌、何がすごいかといいますと回り歌になってるんです。つまり上から読んでも下から読んでも同じ歌になります。皆さんも一度反対に読んでみてください。

これを受け取ったアチヒコさんはたいそう驚き、これは天地をも動かすすごい歌であることに気づきました。歌を返そうにも回り歌で詠まれた歌は、同じ回り歌で詠まないと返せないことから、さすがのアチヒコさんも詠めません。しかもアマテルカミの妹君からいただいたラブレターですので、それ以前に嬉しくて舞い上がったにちがいありません。

ミヤコ(伊雑宮)に戻ったアチヒコさんは、ワカヒメのご養父のカナサキ(スミヨシ)さんとアマテルカミに見てもらいました。もちろん二人ともビックリです。カナサキさんは、この歌には自分の気持がしっかり詠まれており、それが回り歌の形式に整っていて、口を差しはさむ隙が無いということで、こう言いました。

「この歌は廻り歌というもので上から読んでも下から読んでも同じ歌になる。『これをもらったら百年目』で替えごとならぬというものだ」

「替えごとならぬ」というのは、絶体絶命で身動きがとれないという意味で、お受けするしかないということです。実は、カナサキさんこそ和歌を詠む名人で、ワカヒメに和歌を教えたのはカナサキさんなんですね。カナサキさんはかつて嵐に遭遇した際に歌でその難局を乗り越えた経験を話をし、その歌も回り歌でした。実は平安時代に和歌の歌会が住吉社、広田社、西宮社の社頭で盛んに行われていたようです。カナサキさんを和歌の神様として称えていたわけですね。

そしてカナサキさん、アマテルカミはアチヒコさんに結婚を勧めます。

オモヒカネの「カネ」は耐えきれないという意味があり、オモヒカネとは恋しくて恋しくてたまらないという、ワカヒメの恋心いっぱいの称え名で、アマテルカミがつけました。それからアチヒコさんは「オモヒカネさん、オモヒカネさん」と、子供まで一緒になって呼ばれ続けます。
これ、称え名なんですけど、(冷やかしまじりの)「アダナ」に限りなく近いと思います。でもこういう名前で呼ぶというのは、非常にユーモアがあったんですね。

こうしてみてきますと、バレンタインデーに好きな人にチョコレートを渡すという、西洋の文化の底の浅さを実感しますね。女性から男性への恋の告白一つとってみても、西洋とは比較にならないような深い文化が日本にはあったのです。

『和歌』というのは「漢詩に対して、上代からわが国に行われた定型の歌」と辞書には書いてあります。しかしホツマツタエによると、「わか」は、もともとは人の名前です。
「ワカ姫 (稚日女尊)」という姫がいて、「ワカ姫の歌」が簡略されて「ワカ (和歌)」になったようです。

「ワカ姫」は、「ワカヒルメ (若日靈女)」とも「ニフツ姫 (丹生都比賣)」などとも呼ばれていて、いろんな神社の祭神として祭られていますが、その正体は不明でした。しかしホツマツタエは、「ワカ姫」は「ヒルコ 」の別名であると明かしています。
「ワカ (若)」は「沸く」の名詞形で、「勢い・盛り・繁栄」などの意。

また紀州の豊穣の護りとして「タマツ宮 (玉津島神社)」を建て、ワカ姫の住まいとしました。以降紀州は「ワカの国」ともよばれるようにもなります。(今は和歌山ですね。)

つづく

 

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