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ホツマ昔ばなし(その22)【七代アマカミ イサナギ・イサナミ その④『ツキヨミ』】!ワン🐶

順番でいいますと、ここでは天照大神が出てくるのですが、天照大神のことにつきまして以前に色々書いてますので、ここではアマテルの弟のツキヨミについて書きます。

ツキヨミは、他の文献では「ツクヨミ」とも呼ばれていますが、ホツマツタエではでは一貫して「ツキヨミ」です。
イサナギ・イサナミの第三子で斎名は「モチキネ」。
筑紫のオトタチバナのアワキ宮で生まれ、アマテルと同様、ヒタカミ(東北)で教育されて育ちます。

イサナギ・イサナミのフタカミは、アマテルを生み彼を世嗣御子と定め、教育のためヒタカミのトヨケ (5代目タカミムスビ 豊受大神) のもとに送るわけですが、その後フタカミハはハラミのサカオリ宮には戻らず、琵琶湖南岸のオキツ宮に帰ります。その後筑紫 (九州北部) に出向いてその地を治めます。そこでお生まれになったのがツキヨミで、斎名を「モチキネ」と名付けます。
ツキヨミも、兄アマテルに次いでヒタカミに上げられ、そこで教育を受けます。
アマテルが八代目アマカミとなった後、ツキヨミはイヨツ姫 を娶り、イヨツヒコの後を継いで四国を治めます。そしてイヨツ姫との間に「イブキヌシ (伊吹戸主・気吹戸主)」がお生まれになったということです。

ツキヨミの平穏な時代の記述はこれだけで、この後ある事件が起こります。ツキヨミに関する伝承が少ないのは、おそらくこの事件の関係だと思います。

クニサツチの子に「ウケモチ」がおりまして、その子孫は山背 (やましろ) の花山周辺を治めていました。この一族は先進の農業技術を持っていたらしく、その族長は代々ウケモチの名を世襲したようです。

オモタル時代の末期には種籾の力が衰えてきて、米の収穫量が減り始めていました。アマテルはこのウケモチから、収穫力の高い種籾を得ようと、使者としてツキヨミを派遣します。現地に赴いたツキヨミは、彼らの礼の無い対応に憤り、ついに剣を抜いてウケモチを殺してしまいます。報告を受けたアマテルは、ツキヨミの臣としての任を解きました。

こういうことがあって、ツキヨミはあまり派手に歴史には登場しなくなったのでしょう。

大祓祝詞に登場する、四柱の祓戸大神の伊吹戸主の所を読んだら、お父さんのツキヨミのことを思い出しましょう。

ちなみに大祓祝詞のこの部分は、ホツマツタエ的には何のことやら訳のわからない文章となっています。。。詳しいことはまた別の機会に書きます。
愛媛県の伊予神社にツキヨミの命がお住まいになっていたと思われていますが、彼の名前はありません。

ちなみに「ツキヨミ」の意味ですが「月読」ではなく、お兄様の天照大御神が「日」の神ですから、日(昼)の次に生まれた子なので、日の「次は夜」。ヨル=ヨミ。「ツギハヨル」⇒「ツキヨミ」と命名したものと思われます。

つづく

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