さて、天岩戸隠れの伝承とは本当はどういったものなのでしょう。古事記ではおとぎ話なのかそうでないのか微妙なところですね。
その前に、このお話ではソサノヲ(素戔嗚命)がいないと話が始まりませんので紹介します。 ソサノヲ。斎名:ハナキネ。氷川神(放汚尊/神)。
イサナギ・イサナミの第四子でヒルコ、アマテル、ツキヨミの弟です。
前回、モチコが生んだタナヒトは、セオリツヒメ・ホノコ(以下ホノコと書きます)の子オシホミミが生まれてからはタナキネと呼ばれるようになり、第一皇位継承者から降ろされたと書きました。
タナキネの母モチコ、自分の産んだ子が皇位継承者を降ろされた彼女の心は、どのようなものだったのでしょう。タナヒトからタナキネとなった我が子の顔を見るたびに、自分の母としての不甲斐のなさを責められ、お辛い日々を過ごされたことと思慮いたします。しかしその思いはやがて、オシヒトの母ホノコへの憎悪へと変わっていきます。
他方、タケコ、タキコ、タナコを三つ子の姫君を生んだハヤコは、あろうことかソサノヲと横恋慕の有様です。そのことに気づいたホノコは、ハヤコのアマテルへの思いは既に冷めているとお知らせになりました。
それを知ったハヤコは当然大激怒です。
こうして、ホノコはモチコ・ハヤコ(姉妹)の両后から恨まれることになりました。
ホノコを恨む思いが一致したモチコとハヤコはあることを画策します。それはソサノヲをアマカミに据えるという、いわゆるクーデターです。その話をソサノヲに持ち掛け、ソサノヲも当然のことながら兄のことは好きではなかったと思いますのでその話に乗りました。
しかし、その話を后の一人であるハナコ(ホノコの妹)に聞かれてしまいました。ハナコはこれは大変なことに、ということでアマテルに報告します。
このあと、モチコ・ハヤコは内宮に呼ばれ、ホノコから処分が下されます。
あなたたちはツクシ(筑紫ー九州)で蟄居(ちっきょー謹慎)しなさい。モチコの御子はここに、ハヤコの姫たちは連れて行きなさい。男の子は父に、女の子は母に付くのがよろしいでしょう。
さて、ソサノヲは反省するどころか逆上して、まだら毛の斑駒(ぶちごま)を甍(いらかー屋根の背の部分)に穴をあけて投げ入れました。運悪くその時斎服殿(いんはたどの)の神衣(かんみは)を織っていた女性が驚いて逃げようとしたとき、杼(ひー織機の縦糸の間に横糸を通すのに使う船のような形の道具)が身体に突き刺さり気の毒にも亡くなってしまいました。この亡くなった女性がハナコだったのです。
「ハナコ姫がお亡くなりになられました!」
との一報を聞き、アマテルカミはソサノヲを呼び出し次の歌を示されます。
アメカシタ ヤワシテメクル 『天が下 和して恵る
ヒツキコソ ハレテアカルキ 日月こそ 晴れて明るき
タミノタラナリ 民の父母なり』
「天下を治めるということは、民を両親が子にするように慈しみ和してこそできるものであり、まさに日月のように明るくあるべき」という感じの言葉でしょうか。
この歌から、ソサノヲは単に乱暴・狼藉にとどまらず、一国を奪うという大それた野心を秘めていたことが伺いしれます。
さて、アマテルカミに諭された後でもソサノヲは改心するどころが岩を蹴散らしても怒り猛る有様です。そこでアマテルカミはやむなく岩室に隠れて難を逃れ、その戸を閉ざしました。すると天下が暗くなり、政も機能せず大混乱になりました。
つづく。
天の岩戸は前回お話ししました、伊雑宮から5キロぐらい離れたところにあります。
記紀の通説では、話が全部高千穂や出雲地方になってしまっているので、ここはあまり見向きもされないのかも知れません。
wikiを見ましても、天岩戸は「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社」とありますが、ホツマツタエ的には伊勢志摩の伝承が正しいと思います。
また少し余談ですが、この亡くなられたハナコ姫の姉君はホノコ(瀬織津姫)です。お父上はサクラウチさん(桜大刀自 ーサクラノオオトジ)で当時アマテルの右大臣をしていました。
サクラウチさんの神社は櫻大刀自神社とか滋賀県伊香群に式内桜市神社というのもあるそうで(検索ででてきません)、そして瀬織津姫につきましても佐久奈戸神社(滋賀県大津市)の他名前を変えていくつもあります。しかし、ハナコ姫をお祀りしている神社が全くわかりません。このような痛ましい最期を遂げられた姫神をお祀りしていないのは、非常に残念ですね。
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